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吉田神社の神楽の流れ 3

 吉良町吉田神社に伝わる神楽囃子(かぐらはやし)の伝来元を探る。
 -笛を手がかりにして-
 
 愛知県西部の神社では、女子児童による神楽舞が奉納されているところが多く、その神楽囃子には共通点が見られる。このことから、神楽囃子の伝来元が存在すると思われるが、今となっては、どのように伝来したのかほとんど伝承されておらず、不明な点が多い。
 そのため、各地に残る神楽囃子を比較検証することにより、伝来元を調べてきた。
 そこでは、いろいろな面で共通点が見つかっており、本年は、使用する笛を観点にまとめてみた。
 
1 これまでに分かってきたこと
 (1) 愛知県下全般では
  ①女子児童による神楽舞は、西三河・尾張地区に多く存在しているが、全国的には珍しいことである。
  ②宮流と呼ばれる熱田神宮でかつて正式行事として行われていた神楽舞が、だいたいJR東海道線よりも北の地域で、里神楽として各地の神社に導入されていった。
  ③JR東海道線よりも南の地域では、朝日・伏見屋流が多い。
  ④知多半島南部では、朝日流が多い。
  ⑤幡豆町から東では、女子児童による神楽舞は大変少なくなる。
岡崎方面には、宮流、朝日・伏見屋流とは異なる神楽が存在する。
 (2) 大和流
 一色町 生田神社(生田)、松木島神社(松木島)、諏訪神社(一色)
 西尾市 福地、平坂地区(一色より伝来)
 吉良町 大島、高島(一色より伝来)
 西尾や吉良では、一色から伝来したと言い伝えが残っている。
 西尾市の大和流は、一色から伝わったとのことであるが、碧南色の強い地域でもあり、一色とはだいぶ異なっている。
 吉良の大和流は、他流と交わった様子がないので、一番元の姿が残っている可能性がある。
 一色の大和流は、3神社に残っているのだが、それぞれ伝承元は異なると考えられる。
 演奏される曲目がほぼ同じで、同名曲では大変よく似ているため、伝来元は同一と考えられる。ところが、上げ神楽(早神楽)の曲や舞が違っていたり、受け継いでいる曲が様々だったりして、諏訪神社からの伝来とは考えられない。松木島神社には、伊勢からの伝来という言い伝えが残っており、別々に同じ所から伝来した可能性が高い。
 江戸時代後期には、伊勢から布教のため、知多半島・西三河沿岸部に定期的に神官が来ていたことが、伊勢方面の神社の記録に残っている。こうしたことから、神楽舞も伝来したのかも知れない。
 (3) 朝日流
 知多半島南部と碧南に多い流儀である。
 なぜ「朝日」と呼ばれているのか、未だに分からない。当地では、自流を朝日流とは名乗っていない。碧南市では、熊野神社が一番元と考えられるが、それをコピーした霞浦神社の方は「朝日流」と名乗っている。したがって、世間に広く知られている「朝日流」は、霞浦神社で名付けられた可能性が高い。太鼓の叩き方は、各神社により異同が見られるのだが、曲はほとんど同じ。演奏形態や使用する笛も同じで、類似点が多く、演奏できる者でないと区別することができない。
 ここまで似ているのだから、元は1つと考えられる。
 朝日流は、知多半島にも多く存在する。
 こちらは、大型の山車で町を練り歩く所が多く、三河西南部とは随分異なる。神楽にあっては、朝日流と言いつつも、使用する笛は異なっており、違う発展をしたように見える。
 (4) 伏見屋流
 碧南にあっては、伏見屋・稲荷社の神楽が異色である。朝日流の人たちからすると、違いが大きいとのことである。ここの神楽囃子の流儀は、伏見屋流と呼ばれている。ただし、伏見屋・稲荷社では、自流を伏見屋流と名乗っていない。
  (注 大きく見ると、朝日流も伏見屋流もたいへん似ている。)
 これが大ブレイクし、西尾・安城・吉浜への伝来していった。
 吉良町にも伝来しており、荻原・羽利神社がこれにあたる。
 西尾市の北半分は、ほとんど伏見屋流である。
 神楽囃子も廃れてしまう時期があり、そうした時期が長引くと、伝承できる者がいなくなってしまう。そんな状態の時復活させようとすると、近所の神社の神楽囃子をコピーしてくることになる。そうしたことがあちこちで起こり、伝来元が廃れてしまい、伝来先に教えてもらうということも起きてしまうことがあった。
 西尾市の伏見屋流は、独自の展開を見せ、太鼓の手組はそれなりに変化し、緩いテンポで演奏されることが多い。基本的な部分で変化はしていないため、西尾の伏見屋流は、だいたい同じである。
 安城市南部も伏見屋流が多い。西尾を経由して伝来していったと思われる所が多い。
 この西尾の伏見屋流に、吉田の神楽曲11曲がそのまま存在する。曲名が同一の場合もある。
 また、安城・小川神社の神楽曲は、吉田と多くの曲名が一致し、大太鼓の基本の手組が一致する。
 したがって、吉田の神楽は、西尾の伏見屋流と安城小川神社の神楽囃子が母体となっていることは間違いない。しかし、それらとは大きく変化しているため、吉田流と呼ぶことにした。
 (5) 桜井流
 安城市南部は、伏見屋流が多く分布する。北部は、宮流である。その中間点の桜井では、碧南風とも宮流とも異なる神楽が行われている。
 碧南、高浜、西尾、吉良と、神楽囃子では、3尺の長胴太鼓が用いられる。桜井では、コンコロ(大胴)と呼ばれる1尺足らずの長々胴太鼓が用いられる。
 桜井は、チャラボコ太鼓の発祥の地の候補地の1つである。そのチャラボコ太鼓に使用されるコンコロ太鼓と真鍮胴の小締めと呼ばれる締太鼓が神楽囃子ら用いられる。
 山車囃子では、チャラボコ太鼓がいくつかあり、発祥の地の候補地と思わせるところがあるが、神楽にも使用されているのである。和泉の神楽も2組中1組が小締めを使用するが、太鼓は大型の長胴を使用している。こちらは碧南風であるが、何らかの交流が考えられる。
 注目すべきことは、曲目が碧南や吉田の曲と一致することである。スローテンポで演奏され、ハイテンポの碧南風とは随分と趣を異にしているのだが、同じ曲が多数存在する。
 伝搬という観点で面白いのは、「岡崎」と言う曲である。岡崎の神楽連から教えてもらったとのことであるが、この曲は、宮流では、「花かがり」と呼ばれていて良く演奏される曲である。
 この曲が吉田にも伝わっていたのである。曲名は「間抜け」。伏見屋流や朝日流でも「間抜け」と呼ばれ、(岡崎)と括弧書きがついている時もある。吉田の「岡崎」は全く別の曲である。伝来してきた時、既に「岡崎」があったため、曲名を変えて「間抜け」としたのではないだろうか。
 この曲は、朝日流・伏見屋流・吉田流、そして、桜井流の中でも特異な曲で、締太鼓の打ち方と大太鼓の打ち方が、他の曲とは異なっている。この1曲だけ、別に伝来した所以と思われる。
 (6) 吉良町
 吉良町内の神楽は、伝来が様々なことが特徴となっている。
 津平・志葉都神社では、古式の神楽舞が行われる。宮崎では、津島市・津島神社から伝来したと思われる尾張風の舞が行われる。神楽囃子は、妙にテンポが遅く、古い時代の雰囲気を持っている。
 対して、他の神社では、近隣から神楽舞や囃子を導入してきた。
 大島、高島は、一色・諏訪神社から導入。といっても、2つの地区間での神楽囃子の交流は全くない。荻原・羽利神社は、西から伝えられたとのことで、伏見屋流そのものであった。横須賀・春日神社では、大和流と朝日・伏見屋流を合わせたような神楽となっている。
 吉田流は、伏見屋流に全曲があり、西尾の伏見屋流にかなりの影響を受けていると思われるが、伏見屋流ではない。太鼓配置など大和流の影響を受けているところも見受けられる。
 吉田流の神楽囃子・舞は、明治時代に、吉良町内の中野・大日神社、荻原西・津島社荒子・八幡社に伝えられ、現在中野・大日神社にそのままの姿で伝承されている。
 
2 笛に見られる伝搬状況
 吉田の神楽囃子では、篠笛9本調子に相当する笛を使用している。当初、この笛はこの地区独特のものと考えていたのだが、調べるにつれ、ひじょうに広い範囲で使用されていることが分かってきた。
 列挙してみると、神楽では、荻原、西尾・羽塚、西尾・上永良。
 太鼓囃子では、碧南地区、小牧、日進。
 日新では、調子が1本高くなっているが、指穴、歌口の間隔は、ほぼ同一である。
 かつては、笛は地区内の者が自作をしていた。となれば、手本とした笛があるはずである。現に、吉田・川岸組に伝わる古い笛は、明らかに手本とした笛が存在する。
 祭り囃子は、そもそも長唄や能の影響を受けたものが多い。そこで、県内の関係笛師を当たってみたのだが、意外や一致する笛が無いのである。
 曲と共に笛も一緒に伝搬する場合が多い。例えば、朝日・伏見屋流では、すべて同一の笛を使用している。しかも、同じ笛師が現在も製作している。となれば、吉田の笛も、これほど広範囲で見られるのなら、どこかに手本とした笛があるはずだが、残念ながら見つかっていない。
 この笛が神楽囃子に使用されてきたことははっきりしているのだが、古くは8本調子や7本調子が使用されていた節がある。桜井神社では8本調子、松木島神社では7本調子が使用されている。横須賀・春日神社では古くは5本調子、現在6本調子ということを考慮すると、吉田の神楽は、一色や桜井の影響が大きいとも考えられる。
 
3 まとめ
 笛に関しては、広範囲で使用されていることが分かった。西尾・上永良のように、伏見屋流ではなく、岡崎方面からの伝来と思われる神楽囃子であっても、同一の笛を使用している。交流があったとは思えない地区で、同一の笛を使用しているという事実から、何が言えるのか今の所不明であるが、神楽囃子の伝搬に関して重要な点であると考えている。
 どうも、吉田の神楽は、曲だけに留まらず、笛についても広く模索したのかも知れない。
 
4 今後の課題
 曲と笛の伝来が一致せず不思議である。さらに、広い範囲で類例をあたって見ることが必要である。