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     吉田神社の神楽の流れ

 当地方の神社では、女子が舞を行う神楽(かぐら)が行われているところが多い。吉良町吉田神社でも行われているのだが、どこから伝えられたのか分からない。伝えたところはあるはずなので、探してみた。
 
1 幡豆郡近辺で知られている御子神楽の流儀  大和流、朝日流、伏見屋流、宮流が知られている。  大和流は、一色・諏訪神社に伝わる神楽。一色町・西尾市西南部に 伝わっている。  朝日流は、碧南市大浜上区・熊野神社を源とする神楽、碧南各地に 伝わっている。  伏見屋流は、碧南市伏見屋・稲荷社を源とする神楽。西尾市・安城 市・高浜市等に伝わっている。  宮流は、熱田神宮の里神楽で、安城・刈谷市以北に多い。 2 吉良町内の御子神楽の流儀  吉田神社内では、5つの地区が交代で神楽舞いを奉納する。その1 つの高島地区は、一色・諏訪神社から伝えられたことが分かっている。  他の4地区は、これとは流儀が異なり、聞き取りによると、2区が始めたものが広がっていったと言うこ とである。  ただ、細かく見ると、2・3・4区は、曲名が同一で、演奏もほぼ同じだが、1区は一部曲名や演奏が異 なり、やや流れが異なっている。  大島・八幡社は高島同様、一色・諏訪神社から伝えられている。  荻原・羽利神社は、西から伝わってきたと言われている。  中野・大日神社は、吉田1区からの伝来であるらしい。曲名からすると2区となる。  上横須賀・春日神社は、青木地区が神楽を得意としており、そこが伝えたようだ。  津平・志葉都神社は、ひじょうに古式ゆかしく、当地方では一番古いと思われる。  宮崎・津島神社は、津島市・津島神社あたりからの伝来と考えられる。 3 吉良町内・大和流との類似性  高島地区以外の吉田神社の神楽の伝来元を知るために、近隣各地の神楽を調べてみた。  大草からという証言があったため、幸田・大草神社を調べてみると、そこは、西尾から伝来したものであり、 残念ながら伝来元ではなかった。  吉田2区の神楽は、知立からという証言もあったため、調査してみると、知立方面ではほとんど宮流であり、 全く異なる神楽であった。  同じ流れならば、曲名や曲の内容が同じか似ているはずである。調べてみると、  ・吉田神社1区    笛神楽、神下がり、ひょんやつ、岡崎、矢車、矢車崩し、二つ目、二つ目崩し、すごもり、まぬけ、のっぷる、速神楽  ・吉田神社2・3・4区    笛神楽、神下ろし、岡崎、矢車、矢車崩し、二つ目、二つ目崩し、すごもり、間抜け、すずむし、    くつわむし、早神楽。  ・荻原・羽利神社    神下ろし、一本扇、二本扇、ゆみ、チーリヒャラトロ、神明、大門口、神明崩し、岡崎、    ウヒャララヒャラリコ、早神楽  ・上横須賀・春日神社    道行、青木の里、鷹の舞、鶴の巣ごもり、春風、早神楽  ・津平・志葉都神社    ヒャラトロ、かえし、かえしのかえし、チウル、トッピリ、下がり葉  ・一色諏訪神社(大和流の源と言われている)    神下ろし、大和、チヒャラ、チヒャトヒャウロ、縁古、シンメ、すごもり、うとや、下がり矢、    大門口、ヒャラトロ、ヒャラトロくずし、くずし、岡崎(新)、岡崎(旧)、大門口(フーが無い)、矢車、こうじん上げ、上げ神楽 と、曲名だけでは比較することが難しいので、曲の内容で比較してみた。  吉田内では、曲名に異同はあるが、すべて同曲である。  荻原は異なっている模様である。  横須賀は、「鷹の舞い」=「神下がり」、「青木の里」=「ひょんやつ」と、2曲は吉田と同じである。「早 神楽」は、西尾の伏見屋流と同じである。「鶴の巣ごもり」は、大和流に異名同曲があるが、大和流等の「すご もり」とは異なる。  荻原・羽利神社の神楽は、『あいちの民俗芸能』によると、吉田の川岸組から伝授されたとのことだが、現在 の神楽を見る限り誤りである。太鼓の手組からすると、朝日流か伏見屋流であろう。西尾からの影響は見られず、 碧南方面から伝来したと考えられる。もちろん、吉田とは異なる。  津平・志葉都神社の神楽は、この界隈では一番古い舞いに見える。ここの舞いや太鼓手組は、大和でも伏見屋 でもなく、独特である。テンポも遅く雅楽の雰囲気を感じさせる舞いとなっている。  大和流と分かっているところは、西尾市西南部、一色町全域、大島、高島である。  表にまとめて、比較してみた。
大和流神楽曲の対応表
地区 一色諏訪 生田 松木島八幡 大島八幡 徳永 羽塚神明 備考 吉田では
1 神下ろし         神降ろし   笛神楽
2 大和   大和 大和 大和 トヒヒャラ 曲は異なる  
3 シンメ     神明   神明    
4           おしゃぐち    
5           四つ目    
6 チヒャラ チヨサ チノサ   チヒャラ チリヒャウ    
7           六つ目    
8
 
チヒャトヒャウロ
 

 

 

 
六つ目
 

 

 
9 縁古              
10 すごもり すごもり   鶴の巣籠もり       すごもり
11 うとや              
12 下がり矢              
13 大門口     新大門口        
14
 
ヒャラトロ
 
ヒューヒャラトロ ヒャラトロ
 
ヒャラトロ
 

 

 

 

 
15
 
ヒャラトロくずし
 

 
ヒャラトロ崩し
 

 

 

 

 
16 くずし     くずし        
17 上げ神楽 早神楽 早神楽 早神楽 早神楽 早神楽 曲は異なる 早神楽
18 岡崎(新)       岡崎 岡崎   間抜け
19 岡崎(旧)、              
20
 
大門口(フーが無い)
 

 

 

 

 

 

 
21 矢車       矢車     矢車
22 こうじん上げ     中上げ        
23   天の七夕 七夕 天の七夕 七夕 七夕    
24       どすん       神下がり
25              
26       中の大門口        
27       古門口        
28       しり        
29           天神    
30           新笛    
31           インチキ    
こうしてみると、同曲があり、近い地域でもあるので、影響を受けたことは言えそうである。 4 伏見屋流との類似性  伏見屋流というのは、碧南市伏見屋・稲荷社から伝えられた神楽と考えられる。ただし、稲荷社では伏見屋流 と呼んでいない。ここから西尾や安城、高浜、刈谷と伝搬したと考えられる。ただ、伝搬がはっきりしているの は、西尾と安城の一部のみである。  碧南には、もう一つ朝日流があるが、大浜上区・熊野神社が一番の大元のようだ。ただし、ここも朝日流とは 名乗っていない。ここから碧南各地や他地域に広まっていった。大浜は、旧旭村ではなく、旭と名が付くいわれ はないので、旧旭村に伝えられたとき、朝日流と呼ばれるようになったと考えられる。実例としては、平七・霞 浦(かほ)神社は、大浜上区・熊野神社から伝来しており、朝日流と名乗っている。  また、碧南地区の朝日流にも、2流あるように見受けられる。  朝日流と伏見屋流は、曲名は異なるものがほとんどだが、曲が似ていることや、神楽の儀式内容・位置づけが 似ていることから、元は同一と考えられる。  碧南以外では、伏見屋流が多く伝搬していて、西尾や安城に多く見られる。西尾に伝わった時点で、テンポが 遅くなり、落ち着いた神楽に変化した。  いずれの神楽も、神事祭礼に組み込まれた正式行事として行われる。  この西尾の伏見屋流と吉田の神楽を比べてみると、意外なことが分かってきた。















 
吉田と伏見屋流の神楽曲対応表
番号 吉田、1区の曲名 伏見屋流の曲名 備考

 
笛神楽
 
神降ろし
 
曲は似ていないが、神楽を始めるときに、同様の儀式を行う意味で。
神下がり 伊勢海 同曲。
岡崎 梅ヶ枝 同曲だが、だいぶ違いがある。
矢車 八重垣 同曲だが、だいぶ違いがある。
矢車崩し 橋姫 同曲。
ひょんやつ 紅葉狩 同曲。

 
すごもり
 
巣籠もり
 
同名同曲。この巣籠もりだけは、大和・朝日・伏見屋流にも同名・同曲が有り、流れを感じさせられる。
間抜け 間抜け 同名同曲。太鼓は、1手の手組を繰り返すことも同じ。
二つ目 薄雪 同曲だが、伏見屋の方が短い。
10 二つ目崩し 矢車 同曲だが、伏見屋の方が短い。
11 ノップル 紅葉狩り ほぼ同曲。
12 早神楽 早神楽 曲の構造が似ている。
 メロディーの違いの大小はあるが、2から8までの曲は、各フレーズがきちんと対応し、小節数まで一致 する。
 つまり、吉田の神楽の笛神楽を除く11曲は、伏見屋流にあった。  また、興味あることとして、安城・小川神社は伏見屋・稲荷社から、直接伝来したとのことだが、曲名を見る と、   矢車、矢車くずし、二ツ目、二ツ目くずし、巣ごもり、ノップル、野くずし   あげひばり、三吉、間抜け、松時雨くずし、ヒャラくずし、打ち囃子、神納め、早神楽 というように、吉田の神楽曲と同名の曲が8曲あり、何らかの関係をうかがわせる。 5 神楽の形式から  (1) 神楽の扱い  一色東部、吉良町では、舞子は全て「お足袋子さん」と呼ばれている。  一色諏訪・西尾・碧南・安城では、御子(神子、巫女)と呼ばれている。  宮流系も全て御子である。  碧南・西尾の神楽は、神事の正式行事として取り扱われる。すなわち、神事の途中から「神降ろし」を演奏し、 舞いを始める(徳次等)。祭礼行事の最後は、「上げ神楽(早神楽)」で締めくくられる。  伏見屋流でも、12式神楽が終わった後の舞いは、余興として扱われる。西尾の大和流では、6神楽が式神楽と されている。朝日流でも、12曲が式神楽として行われる。  正式行事ということで、囃子方の服装は羽織着用のところが多く、白衣に袴あるいは、裃を着用するところも ある。簡略化してきた現在でも、背広着用とかネクタイ着用とかを義務づけるところもある。  この形式自体は、吉田でも同様であるが、吉田では、神楽は余興として扱われるところを見ると、形式を真似 たとものと考えられる。  (2) 配置等  太鼓の配置には、大きく見ると2種類ある。前方配置と後方配置である。  神楽殿の前方に太鼓を配置するのは、大和流では一色諏訪神社、生田神社、大島八幡社である。その他、吉良 町志葉都神社、荻原羽利神社、そして、吉田神社である。  碧南・西尾では、調査した箇所全て後方配置であった。  大和流でも、西尾では後方配置されており、流儀よりも、地域性に関係が深そうである。前方配置される地域 では、囃子で、大型長胴太鼓を使用する「打ち込み太鼓」が行われる地域と一致する。  (3) 舞いの衣裳・採り物  朝日流・伏見屋流・大和流では、お稚児さんの衣裳とほぼ同じである。ただ、幡豆郡では、たすきを用いない ことが多い。  流儀不明の吉田・荻原・横須賀も同様の衣裳で行われる。ただ、横須賀は、冠ではなく、金色の烏帽子を用い る。  宮流では、緋袴は同じであるが、上衣は白衣の上に千早と、巫女さんと同じスタイルで行われる。  採り物は、扇子、鈴は全ての所で用いられ、その他、御幣、花、弓等いろいろあり、流儀による違いや地域性 は感じられなかった。舞いは、太鼓の流儀とは別のようである。  舞いの人数も様々であるが、元々は2人で舞いを行っていたというところが多い。その並び方に特徴がある。 朝日流は1人や2人横並びが多く、伏見屋流は縦並びが多い。大和流は、調べた範囲内ではすべて縦並びであっ た。  伏見屋流の本家と思われる伏見屋稲荷社では、その中間で、前に横並びで2人、後ろに1人となっている。  (4) 笛  朝日流・伏見屋流では、三河笛と呼ばれる古典調11本調子相当の外側黒塗りの篠笛が用いられている。ちなみ に、この笛は、奥三河・岐阜県まで使用されており、広い範囲で同一の笛が使用されている。  宮流では、宮流専用の神楽笛が使用される。  大和流では、一色諏訪が10本調子、松木島が7本調子、大島が8本調子、羽塚は9本調子と様々である。大島 は、一色諏訪からの伝搬と伝えられており、使用する笛は伝わっている笛を特注で製作しているくらいなので、 途中で変化しているとは考えにくいが、現実には諏訪神社と異なっている。  それに対して、吉田1区・3区・4区では9本調子、2区は8本調子が用いられている。50年ほど前までは、 8本調子または、7本調子だったという説もある。  (5) 太鼓の手組  矢作川を越え、西尾に一番早く伏見屋流が伝わったのが徳次ということである。この系統の伏見屋流の太鼓手 組はだいたい同じである。ところが、同じ伏見屋流でも、高浜下とは手組が異なっている。似たような動作はあ るのだが、打つタイミングは異なっている。朝日流も同様で、曲は同じでも太鼓手組は異なるのである。  朝日流では、曲名も異なっていることが多い。  西尾に入ってきた伏見屋流は、吉田の手組と類似点がある。吉田の手組で、かいどり、打ち込み、みつぶちと よく似た手組が西尾の伏見屋流に見られる。  大和流の演奏はじめには、締太鼓でテデスク・テデスク・天天・スク天と叩き始める。この打ち方が吉田にも 1曲ある。 横須賀の神楽曲は、この部分だけで言えば、大和流と同じである。 大和流の大太鼓の手組の基本は、下のとおりで、吉田とは全く異なる。  ちなみに、横須賀春日神社の締太鼓の手組は大和流と同じだが、大太鼓の手組の基本は下のようであり、 全く似ていない。  (6) 太鼓セットの類似  朝日流・伏見屋流は、大太鼓1人、締太鼓1人で演奏される。それに対して、大和流では、締太鼓が2人とな る。  宮流では、大太鼓と締太鼓は1人で演奏される。  吉田では、大太鼓1、締太鼓2であるので、大和流と同じである。太鼓の配置も大和流式であるので、これだ けでいえば、大和流に近いと言える。  (7) 「岡崎」という曲の存在  全国各地に「岡崎」という曲がある。この曲の成り立ちについては諸説あるが、その1つに、江戸時代に流行 した「岡崎女郎衆」をベースに制作されたということがある。  「岡崎女郎衆」は、短く簡単な曲であるので、三味線や箏の入門曲にも使用された。  吉田で奏される「岡崎」は、この「岡崎女郎衆」が元に制作されている。同内容曲は、朝日・伏見屋流にもあ り、伏見屋流では、「伊勢海」、朝日流では「ヒャラトロ=神誓い」と呼ぶ。曲名「岡崎」はあるものの、吉田 で言う「まぬけ」に相当する曲である。  曲は伝搬されていくうちに、多少なりとも変化していくものである。また、変化しながらも、曲の特徴を残す ものでもある。  したがって、原曲が分かれば、伝搬の推移を類推することができる。  この多数ある「岡崎」、または同内容曲の中で、原曲に忠実なのは吉田の曲である。  となれば、吉田が源流と考えられなくもない。  矢作川流域で祭り文化が広まっていることがいくつかの書で知らされている。最下流から最上流まで、共通す ることが見られるのである。そして、最上流の旭町杉本にも、「岡崎女郎衆」をベースにした囃子曲が存在した。   6 まとめ  吉田の神楽は、全曲伏見屋流にあり、大太鼓の打ち方も類似しているところがある。では、伏見屋流の流れと 言っていいかというと、言い切れないのである。  伏見屋流と朝日流の源は同一と考えられるが、それらと大和流は同一ではない。ところが、同曲がいくつか存 在するのである。  吉田では、新楽・本楽ともに神楽を行うが、伏見屋流では本楽のみである。大和流では、両日ともに行う。太 鼓の置き方や締太鼓を2台使用することも大和と同じである。  使用する笛は、どちらかといえば大和流に近い。  このように見ていくと、吉田の神楽は、大和と伏見屋を混ぜ合わせたようにも見える。  しかし、吉田独自のこともある。締太鼓の演奏はじめの仕方、笛のコーダの仕方、早神楽の舞い等は、他地区 には見られない形式である。  また、「岡崎」に着目してみると、吉田が源流と考えてもおかしくない。  吉良町以外の神楽は、どこかの流儀と類似点を見つけられ、流れを判断できるのだが、吉田の神楽は、吉田だ けの特徴があり、朝日・伏見屋・大和の流れから外れてはいないということまでがいえる。